Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 パリのよしなしごとを徒然なるままに

パリを歩けば

 その昔、2年ほど神戸に住んでいた。「犬も歩けばケーキ屋に当たる」と言われる、洋菓子発祥の港街。珈琲と洋菓子の歴史は明治時代にさかのぼり、最初は居留地の外国人向けにつくられていた。初めて日本人職人が手掛けたのが今の「風月堂」、ゴーフルで有名だ。祖母が好きだったため、小さい頃私もよく食べた。いちごとバニラと珈琲のクリームの挟まれた薄焼菓子が、茶色い丸い缶に入っている。クリームが苦手な私は、それより黒い横長の缶に入ったレスポワールという焼きワッフルがお気に入りだった。ほんのりバターの香りがして、あれが私の『異国』の香りである。今思い返してみればフランス語だったのか。焼き菓子で知られるカール・ユーハイムさんはドイツから(ちなみにバウムクーヘンは輸入品でなく、日本で彼が初めて焼いた)、チョコならロシア革命を逃れてやってきた、ロマノフ王朝の菓子職人:マカロフ・ゴンチャロフさんがいる。47都道府県のうち、神戸洋菓子協会が最も古い。老舗が集中しているエリアは神戸港から元街、三宮センター街にかけてだが、実は御影、住吉地区、岡本といった阪急沿線もケーキ店激戦区、レベルは相当高い。珈琲好きの私には、夢のような2年間だった。

 ベルリンを歩けば、クマに当たった。ほんとうの話です。私が訪れたのは8年ほど前になるが、ベルリンでは街中至る所にクマの像があり、聞くところによるとその数100体。「バディベア」という名で、同じ形の像に世界のアーティストがペイントを施している。今もあるのかな。特筆すべきはギーンゲンという小さな街。ここはシュタイフ社というテディ・ベアをつくっている会社とミュージアムがあり、クマ一色の街なのだ。半端じゃない。普通の家の軒先にも、パン屋にも花屋にも、レストランから病院に至るまで、カラフルなクマさんたちが思い思いの大きさ、体型で張り付いている。ふと足元に目をやると、路上にクマの足跡までついている。芸はどこまでも細かく、徹底している。イギリスのパティンドンさんも気になるけれど。

 さてパリ。パリを歩けば――犬に当たる。パリジャンは犬(シャン)が大好きらしく、パリシャンという造語まである。14区には犬専用公園ができた。東京で住んでいた自由が丘も、人間より赤ちゃんと犬が多い街だった。犬なんて私より上等な服を着ていた。犬専用のホテルや美容室まであった。まともに疎外感を感じていたのは私だけ?

 パリを歩けば、、、ブーランジェリー、物乞い、貸し自転車(ヴェリブという。パリ市が導入)駐輪場、メトロの中の大道芸人に当たる、のはまあ周知の事実。物乞いなんて日本のコンビニぐらいの距離感覚で100メーター置きに座っている。外見、衣装、小道具からセリフに至るまで、いろんなバリエーションが存在する。多いのは東欧系らしく慣れてくるとロマの格好は一目で分かる。夏ごろ、サン・ミッシェルのバス停付近に小さい2人の女の子を連れた家族連れがおり、何度か会話を交わしたことがある。向こうは私がボランティア団体か行政調査と勘違いしたのか、妙に熱心に現状を説明してくれた。雨の日には、実は彼らはセーヌほとりに隠し持っている寝床に移動する。物乞いは単なる営業活動。娘たちは6歳と4歳で、可愛い眼で見つめられたら誰だってミルクや食べ物を恵んでしまう。それも観光客目当て、なかなかに演技派の子役たちだ。さらに数メートル離れた所には、アル中らしき男が一人、ビールの500ミリ缶を潰してへ垂れこんでいる。「父さん、しっかりしてくれよ」高校生と思しき息子まで登場。「あれは私の夫と大きい息子です・・・もちろん私たちは移民ですから、ここでは働くことができません」 ボンレスハムのように太りきって、地面に座り込んだまま私を見あげる母親は、ハンバーガーやフライドポテトの袋をたんと抱え込んでいる。場数を踏んできた役者たち勢ぞろい、といった感じだ。反対岸をテリトリーとしている中年女の物乞いは、足の悪い息子役を登板させているにも関わらず勝敗は明らかに見えた。ここじゃ商売あがったり、と思ったのか、一か月もすると別の場所でその母子をみた。服も靴も一新され、少年は足なんか全然悪くなく、すたこら歩いて人ごみの中で女性のバッグを狙っていた。

 彼らも色んな知恵を身につけながら、このパリで逞しく生きているみたいだ。