Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 パリのよしなしごとを徒然なるままに

Parce qu'on vient de loin/遠くからきたものだから

 地下鉄の壁に『2014/Rwanda』という写真展のポスターが貼られていた。今年は1994年のルワンダ大虐殺の年から20年。多数派フツ族主導で約80万人のツチ族が犠牲となったとされる事件だ。

 4月上旬、ルワンダ大統領が「大虐殺へのフランスの関与」を非難したことを受けてフランスは、ルワンダ政府主催の追悼式典への出席をボイコットした。駐仏大使が出席したが事実上の「格下げ」にルワンダは猛反発。フランスは大虐殺当時、フツ民族主義政権と同盟関係にあった。ルワンダ側は今も、フランスは大虐殺に加担し、共犯者だったと関与を認めるよう主張、20年目の境に、今フランスとルワンダの外交関係は大きなきしみをたてているみたいだ。

 新聞の場合、「20年経ち、アフリカが“声なき声”を上げ始めた」とか「人道とは何か」といった見出しでリード(文章の導入部。フランスでは『シャポー:帽子』と呼ぶので最初笑ってしまった)の数行が作られ、しまいにゃ「国際社会は、これを機に途上国と先進国における説明責任を考えねばならない」とか当たり障りのない、何を言っているのか実のところ、よく分からない文句で終わる。そういうのは、私には書けない。というか、そういうのは、書くべき人間がちゃんといて、少なくとも私は自分がその種の人間でないことを知っている。国際政治学者や識者もまた、それが仕事であり、あらゆるメディアに登場しているから、彼らに任せておけばいい。

 小説を志したころ「人を殺さずに読者を泣かせればその小説は上出来だよ」と言われた。つまり簡単に登場人物が死ぬようなストーリーであれば、そりゃあ手っ取り早く感動もするだろうし、お涙ちょうだいモノでしかないというわけだ。誰も死なせず、それでも読者を感動させられたらそれは筆が確かな証拠だ、と。物語それ自体の骨格、文章スキルがなければ成功しえない。そのほうが遥かに難しいということだ。習作の段階で身にしみて理解することになる。新聞も同じで、弱者の発言は全て「声なき声」になり、甲子園で負けたピッチャーは、どんなに胸を張ってインタビューに答えても「~と肩を落とした」ことになってしまう。そういう「紋切り型」の文章は、なるべく、というか、プロなら絶対に使ってはならないはずなのに、どういうわけか自分が使わなくてもデスクがそう直してくる。(笑) 

 新聞社の話はしまいとして、自分の作品に限って言えば、まあ1か所ぐらいいっか、じゃなく、使ったら負けという真剣さで向き合わないとおしまいだと思っている。自分がわけの分からない言葉を使うなんて考えられない。世の中を分かったふりして斬るのは、私の仕事じゃない。もう一度言う。人にはそれぞれ、与えられた役割がある。

 話はルワンダに戻る。

 Corneille(コルネイユ)という、モントリオール拠点の歌手がいる。1977年3月、両親がドイツ研修に来ていた時に生まれたルワンダ人だ。16歳でルワンダテレビの歌番組コンクールから歌手デビューするも、翌年内戦勃発。コルネイユだけドイツに逃れるが、残った両親、家族ともルワンダ虐殺で殺され一人きりに。20歳の時カナダ、モントリオールの大学へ渡り、再び音楽活動開始。2003年のアルバム『Parce qu'on vient de loin』、続く2005年の『Marchands des reves』(夢の商人:日本では『夢商人/あきんど』として発売された)が、カナダだけでなくフランスで大ヒット。仏語圏アーティストとして、その経歴もさることながらあっという間にスターに駆けあがった。

 歌は確かに優しく、甘く、高めの声を出す時は「フランス語版・平井堅」みたいな感じだ。前回書いた過激なフレンチヒップホップとは対象的。歌詞も「僕ら呪われてなんかいないよ きっと僕らの日がくる 子供たち、僕の言うこと信じてよ、きっと真実が絵空事じゃなくなる日が」という、どこまでも希望の光に溢れたもので、攻撃性のかけらも見当たらない。暗闇が彼を支配した過去があっても、産み出される音楽は、それとは反対の平和な海の凪のような心地よさだ。

 日本に居た時から、私はコルネイユについて知っていた。同い年だし、何かにつけて「ルワンダ大虐殺から生き残った」「不幸を乗り越えた」コルネイユ君、としてマスコミにとっては「おいしい素材」、日本のレーベルが大売り出しだったからだ。英語でも歌っており、今や世界で活躍している。カナダ赤十字や戦争で迫害された子供たちのための活動も、いちいちヒューマニックに取り上げられる。戦争で家族全てを喪った彼は、2006年結婚し自身の家族を手に入れた。

 日本での報道ぶりはあまりに「ルワンダ」を強調し過ぎて少々眉をひそめたくなったのも正直なところだ。その結果、「現在の彼」が、どこで、どんな音楽をつくっているのか、どういったメッセージ性を持っているのか、が、音楽を聴くまで分からなかった。Parce qu'on vient de loin:遠くから来たものだから――をはじめて聞いた時、私は真剣に考えた。私を含めほとんどの人は「少年期に大虐殺で家族みんな殺され、苦学の末カナダで歌手になったルワンダ人」の歌と知って、聞いている。その情報、先入観ナシで聞いた場合、どうだろう。私なら、ことによると「どっか田舎から出てきた若者が都会でがんばろーぜって言ってるぅ~」ナイーブな歌にしか思えなかったかもしれない。純粋に音楽を聞いて、その声で、メロディーで、歌詞で、心を動かされるかどうか?最も重要なことだ。だから日本で騒がれていた時、ひねくれものの私は「ああどうか彼が『ルワンダ、ルワンダ』と騒がれることなく、創ったその曲できちんと評価され、音楽の平野を歩いてゆけますように」と願った。過去や思い出を、業界に都合よく利用されて、未来までふみにじられませんように。案の定、あれだけ騒いだ日本でのブームは、あっという間に去っていた。

 今年、コルネイユはまた世界の色んなところで、色んな意味で、引き合いに出されることだろう。去年は、フランスでアルバムを出した。彼自身が心穏やかに音楽活動を発展させ、充実した人生を送っていればいいな、と思う。

 追 記:ファーストアルバム、Parce qu'on vient de loinの中では、私はタイトル曲より、ダンサブルな『Ensemble』が気にいっている。


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