Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 パリのよしなしごとを徒然なるままに

Le mistral/ミストラル 

 ミストラル。ケーキ屋さんやフランス料理店にありそうな、素敵な響き。もとはフランスの南東部、プロヴァンスに吹く地方風のこと。アルプス山脈から下る風がローヌ河谷で加速を増し、地中海に吹き下ろす冷たい北風。通常冬から春にかけて吹き、地中海北西上に突然嵐を引き起こすこともある。プロヴァンサル語で「見事な」を意味し、隣のイタリア北西部で吹く風は「マエストラーレ」と呼ばれる。

 チリの女性詩人にガブリエラ・ミストラルさん(1889~1957)という人がいる。私が「ミストラル」で思い浮かべるのは、むしろこの人のほうだ。10代から詩を書きはじめ中学の教師をしながら作品を発表し続けた。独学の人。1933年からは外交官として、世界各国で勤務、1945年、ラテンアメリカ圏初のノーベル文学賞を受賞している。

 『パン』という詩がいい。テーブルの上に置きされれた一つのパンを見つめるところから詩は始まる。それは「半分焦げていて 半分白く てっぺんが摘み取られていて 純白の中身がのぞいている」ものである。パンを前に、「めずらしくて、初めて見るようで」自分が食べてきたものとは、違うようだ、と思う。部屋には彼女しか居ない。だからこうして、パンのほうから、忘れた匂いを呼び醒ましてくれたのだ、と彼女は思う。幼いころからのいくつかの思い出、亡き友人たちが巡る。「あまりにも長く忘れきってきた歳月に 悔いの涙がこぼれる すると わたしの顔は老いる それとも この出会いの中で蘇生する」 老いた詩人は最後、再びパンに語りかける。「家には誰もいないから ふたたび巡り合った二人は一緒にいよう」と。

 パンをめぐるこのような詩があっただろうか。彼女が抱く、幼き日のパンの温もり、光、かたちまで目の前に立ち上ってくるよう。パンは変わらぬ昔の象徴、いまの自分はこんなにも歳をとってしまった、と思う。描かれているのは「老い」だが、彼女は自ら尽きるまで「この思いやり深い静けさの中で もう一度ひとつになろう」と語りかけ、「蘇生」する。

 詩人として歩み出した頃、交際した鉄道員の相手が自殺する。以後「死のソネット」などその影響が色濃く表れるとされる。にもかかわらず、私が彼女の詩全般に感じるのは、どこか、吹きぬける季節風のような開放感、明るさだ。チリ土着の匂いでなく、むしろ西欧各国を外交官として渡り歩いた、ヨーロッパ風の眼、ニュートラルさ。祖国とそこで過ごした幼き日は既に失われ、郷愁として描かれる。

 私が高校生だった1993年、小沢書店から田村さと子氏の訳で双書が出たが、その後絶版。茨城のり子さんの詩集を買った時には、ああ、ミストラルと同じ旋律がある、と思った。1957年、ミストラルがニューヨークで死去した際、チリ政府はこの「ラテンアメリカの母」に三日間の喪を服した。