Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 パリのよしなしごとを徒然なるままに

Mogaribue/もがりぶえ

 日本だけでなく、世界中に数えきれないほど多くの「風」の名がある。パリへ立つ前の日に偶然知った、日本古来のある「風」の名。それが「虎落笛」、もがりぶえだ。冬の季語である。

 広辞苑だと「冬の烈風が柵・竹垣などに吹きつけて、竹のような音を発する」ことを言うらしい。笛はさておき、この「虎落」もがりとは何ぞや?再び広辞苑。(1)軍(いくさ)などの時、先端を斜めにといだ竹を筋違いに組み合わせ、縄で結い固めて柵としたもの。一説に「もがれ木」のことであり、中国で虎を防ぐ柵から来た当て字であるとのこと。虎は木なら登ってしまうが、竹は表面が滑るので虎さえ落とす、という意味で「虎落」もがり、となったようだ。そうした柵を冬の風が吹きつけ、フューフューと物悲しい音をたてる、その不思議な音のこと。

 「もがり」は「殯」(モガリ)に通ずる。万葉集に出てくる。昔、貴人の死体を葬る前に、棺に納めて放置した。本葬の前に行われる仮葬のこととされる。「かりもがり」=仮喪(かりも)として、後ろから名詞を修飾している。万葉の時代にはこのように、フランス語と同じ語順が日本にもあったのだ。

 人が亡くなってから本葬までの間は、まだ霊魂が身体から離れていないとされる。大昔の日本では、天皇が死ぬと殯宮(もがりのみや)が設けられ、近親者が集まって呪術的な祭祀が行われた。何日も声を上げて悲しみを表した。白川静『字訓』によると中国では「天子は7日、諸侯は5日、大夫・士・庶人は3日」と出てくる、という。仮葬場に設けられた柵を、後に「もがり」と呼ぶようになったらしい。

 私は東京育ちだから、たぶん、実際にもがりぶえを耳にしたことはない。現代でも、京都や地方の住宅街では竹で囲まれた垣根があり、そこを通り抜ける笛のような音をもがりぶえと呼ぶ。西欧風に言ってしまえば、自然の奏でる風のフルート。でもどんなに言葉を尽くしても、おそらく昔の人がこの表現に託した悲しみにすすり泣く人の心、故人からのささやきというニュアンスは、うまく訳せそうにない。竹の垣根は霊界とこちを隔てる扉の役割をしていて、そこを渡る風は両者をつなぐ唯一のもの。おどろおどろしい感覚すらある。日本の伝統芸能である「能」の舞台で、セリフのないところを仏語訳してねと言われるような、どうひっくり返ったって太刀打ちできない無力感が広がる。もちろん高度な技術と語彙があれば、他の言語、然るべき語彙に置き換えて説明をすることはある程度は可能だ。でもひとつの言葉の中に含まれる湿度、立ちのぼる香り、そこから広がる日本人の死生観みたいなものまでひっくるめるとなると、さすがに100%を追求するのは難しい。それが生きて、呼吸をする言語というものの姿なのかもしれない。

 パリへの前日、これを教えてくれたのは、何十年ぶりかに再会することのできた99歳の祖母だった。どうして、私も読めない、あとで調べなくてはならないような難しい単語を祖母がこの時口走ったのか、分からない。

 眼を閉じて、ただ、風の声に耳をすませる。風の声を聴く。

 パリに風はあるか。どこから吹いてくるか。