Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 パリのよしなしごとを徒然なるままに

パリで道場やぶり、のはずが

 私の通うジムはパリ及び近郊(zone1と2まで)に17個所存在する。一番安いプランでも、その全てが使い放題となる。全く違う料金体系でセレブ向け施設も存在するがこちらは縁がない。

 最初は寮と学校を結ぶメトロ4番線からアクセスがよく、治安のよさそうな場所を選んだ。ダンフェール・ロシュローの駅から6番線に乗り換えていけるモトピケ、16区。ブルジョワ住宅街だから全体的に落ちついてはいるが、どうも「スポーツクラブ」に代表される活気とかエネルギーは感じられない。昼間という時間帯のせいもある。「一体この人たちはどうやって収入を得ているのだ?」という年配層が多く、運動よりはおしゃべりサロンに近い雰囲気は、日本でも一緒だ。これが夕方から夜にかけてのダンフェールだと、全く異なる。会社帰りの中年~若者層になり、男も女もビタミンカラーのウエアを着て、懸命に自転車を漕ぎ、あるいはipodをつけてマシーンで走っている。乾燥大国フランスで、初めて汗する人々を見た。

 ジムでは皆あいさつを交わすのに最初ちょっと面食らった。乗り合わせたバスや地下鉄で知らない人同士がいきなり会話を始める、というのとはちょっと違う。あれはそのような価値観というか習慣の違いであり、共にした空間さえなくなってしまえば(つまりバスなり電車なり降りてしまえば)話したことも忘れ、赤の他人である。対してこちらは「ここで会ったが百年目、きょうも明日も明後日も俺達友達じゃん」的な、未来永劫、観念せざるを得ない何かがある。もっとクールで、他人のことなんか構わず、サービスのかけらもないのがこの国だと思っていた。調子が狂う。受付のスタッフは、来れば笑顔で「Bonne chance!」(今日もがんばってちょ)とタオルを渡してくれるし、あるスタジオでは帰りがけに会員カードを返却してもらう際、まだ来週の、掲示されてもいない休講情報なんかを教えてくれたりする。「あの先生は来週いっぱいまではヴァカンスでパリにいないからね。戻ってくるのは×日だよ。どこそこのスタジオではまだ発表していないから、注意してね」など。講師陣とも良好な関係が保たれているわけだ。これが別のスタジオでは、こっちが聞いても「そんなの知らない、私、先生じゃないし」あるいはスケジュール表を見もしないで「ある、あるあるある」の一点張り(で結局、休講)。シャワーを浴びているほんの一瞬に、タオルとともに置いておいたシャンプーが消えても、鍵付きロッカーの中に入れた外靴がなくなっていた時でさえ「セ・ドマージュ」(残念ね)の一言。欧米の「個人主義」とは、まるで別の次元の問題だろう。

 一か所愛想が尽きても、悪くないもう一つに出合えれば確率としては五分五分。残りは15スタジオ。せっかくダンスのクラスが充実しているジムで、他にも遠征してみないともったいない。今のクラスに飽きてきて、更なる向上を求めパリ行脚すべき。私は各々のスタジオへの行き方を調べ、持っている地図帳にボールペンでチェックを入れ、これと思うダンスクラスのスケジュールをメモした。スマホを持っておらず、原始的手段をとらざるを得ない。こうして私の「パリ・ダンス道場破り」は始まった。実際には「道場」ではないが、ここでは「精神的あり方」のことを指す。

 パリは言うまでもなくエスカルゴ状の20区で構成される。17ジム全てが各区に存在するわけでなく、市をちょびっとはみ出て、パリ交通網上で「ゾーン2」に位置する地域も含まれる。“用があれば行ってみたいけれど、これといって用がないためこれまで行くことのなかった”地域に、その“用”ができたため、この春、次々と足を踏み入れることになる。

 モトピケと反対方向の6番線、国会図書館へ行く時、通過していたプラス・ド・イタリー。ここは南北を走る7番線と5番線が交差するため乗降客も多い。パリに多くの移民街あれど、ここは13区、中国・ベトナム系街としてはフランスばかりか欧州最大規模とロンプラ(ロンリー・プラネット/ガイドブック)にある。ふうん、でも「イタリー」広場なのか。地上をでるとほんとに円形の公園(いや単に大きなロータリー)があり中央に噴水が湧いている。そしてこれをぐるっと一周するなかで、全く景色が違うのに驚かされる。ゴブラン通り方面では、すっきり区画された道路の向こうにパンテオンのドームがそびえたつのが見える。両側は古くからのパリのアパートが並ぶ。駅舎みたいな建物は13区の区役所、反対側にそびえ立つやけに現代建築風の高層ビルは「grand ecran」という大型ショッピングセンター。ジムもこの中を突っ切って行った先にある。手掛けたのは東京都庁を設計した丹下健三(タンゲ・ケンゾウ)氏だ。おお、確かにあの「国立代々木体育館」が縦長に背伸びしている感じ。丹下氏は若き日、フランスの建築家ル・コルビジェから大きな影響を受けた。「ものをつくる」という仕事をしながら、生涯、自分の過去に執着しなかった人でもある。

 イタリー通りを一本はさんでショワジー通りへ行ったところが中華街。マクドナルドの黄色いエムの横には「麦当労」とでかい看板がある。「ビックマックってなんて言うんだ。巨・大・▲とか、ポテトSは芋小とか小馬薯とか。マックシェイクは・・・、いや、普通に、フランス語が話されていた。

 RER線A終点のラ・ディファンス。映画の撮影セットと思うほどの近代都市。丸の内ビル、あるいは日テレ界隈、お台場をひとまとめにした感じ、あるいはシンガポールやドバイあたり・・・ようは超高層ビルがにょきにょきと生え、くらくらするような非現実的・新都心空間が広がっている。多くは企業が入っていて、スーツを着た「ビジネスマン」が出入りする姿をみることができる。ああ、いたんだ、フランスにもネクタイしめて日勤している人々が・・・。フランス人みなベレー帽かぶって絵を描いているわけじゃない。インド人がターバン巻いてじゅうたんに乗っていないのと同じように。フランス革命200年を記念して1989年につくられた「新凱旋門」(Grand Adche)は、凱旋門と直線状に並んでいる。270だかの店の入った巨大ショッピングセンターはデファンスの駅直結で、ほとんど空港の免税店エリアの感がある。もうイングリッド・バーグマンは雨に濡れてカルヴァドスをあおったりできない。スタバにマックにハーゲンダッツ、ちょいと失恋の痛手を癒すなら、上のシネコンでアメリカ映画でも見ましょうよと、イケメン外科医をナンパし、手っ取り早く気分転換可能である。

 もちろんラ・ディファンスのジムもビジネスマンたちご用達。入るや否や、受付へ向かうためには全員プールの脇を通過しなければならないという不思議な、近未来的構造である。

 道場破りの目的で始めた17ジム巡り。そんなふうにして街や駅周辺をぐるりとまわり歩いているものだから、ジムについた頃にはすっかり疲れきっている。「ボン・シャンス」とタオルを渡されても、今日も知らない街でよく頑張った、自分、とあとはシャワーを浴び、サウナに入って帰るだけである。