Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 パリのよしなしごとを徒然なるままに

Sous le ciel de Paris /パリの空の下 

  エディット・ピアフの『パリの空の下』Sous le ciel de Paris は、フランス語を学び始めると誰もが一度は聞かされることになる有名な一曲。知っていようがいまいが、ひとたび仏語の門をくぐったら、これを経ずして学習者とは呼ばせない、という力ずくに近いものがある。
 入門テキストの最初のほうにも関わらず出てくるのは、歌詞にそれほど難しい単語があるわけでなく、パリの魅力が盛りだくさん、口ずさみやすいメロディーだからか。ディクテで(  )こんな感じに空欄になって穴埋めするようになっている。入門レベルでも、人称代名詞(彼・彼女など)、ギャルソン、オワゾー(鳥)といった簡単な単語はききとれる。少し上のレベルでは、動詞や頭の接続詞がカッコになり、かくいう私もそれぞれ異なるクラスで、最低2回ずつは授業でやった覚えがある。
 パリに来てすぐ、見るもの全てがキラキラと目新しい頃はまだいいが、半年もたてばすっかり飽きて、またこの曲かよ、という気になるのが普通だ。毎回思うが、哲学者だの、水夫だの、アコーディオン弾きだのがフツ―に歌詞に出てくるパリって結構凄い。その上パリ」が主語になっちゃてるよ、とくれば、こりゃあ昔の日本人の憧憬は、想像に難くない。  
 中級クラスの個人発表で、この歌詞を作詞したジャン・アンドレ・ジャック(1921-2003)について取り上げたクラスメイトがいた。焦点はこの作詞者だったので、とくに歌詞の内容に突っ込んだり、文法をやったりしたわけではない。が、例によって例のごとく、電子黒板にyou tubeを映して聞いたわけだ。まあ8割がたエディット・ピアフだろうと思っていたら、映像がモノクロで洒落ていて『2013年バージョン』とある。パリの街並みがシックに映し出される。雲が流れる。少なくとも、私がパリという街では、ほとんどまともに感じることのなかった「風」が、石畳の通りを確かに駆け抜けてゆく。 

Edith Piaf - Sous le ciel de Paris 2013 - YouTube
  ところで、この歌は古今東西いろんな人がいろんな歌い方をしている。
 私が知る中では「どうしてもジュリエット・グレコじゃなきゃだめ」という人が、結構いるみたいだ。そもそも映画『巴里の空の下セーヌは流れる』(1951)で歌ったのは彼女だ。ピアフは確かに偉大だけれど、情感がこもりすぎて、なんか違う――いうのが、その人たちの大まかな意見だったと思う。
 以前、何かの機会でこの話になったとき、たまたまその場に居合わせた在仏歴の長いシャンソン歌手の女性――かなり年配の――が、ポロリと日本語で言った。「グレコはさ、『いつくしみ』があるんだよ」。『いつくしみ』と、5語を区切るように、ハッキリといった。愛、とか、現実味、とかの言葉でなかったのが印象的だった。帰って聞いてみたら、何となくわかる気がした。ピアフは生きてゆくことの重みをしっかりと受け止めて歌うのだけれど、グレコはだからこそ、どこか突き抜けた明るさを与えようとしている。この街に生きる人間を見つめるグレコのまなざしが、あたたかな体温として歌からこぼれ落ちているんだと思った。
 
 と言っておきながら、イヴ・モンタンというカードをきらせていただきたい。どうしてかは分からないが、時や場合によって「ああ、今日は女の声はダメだ。受け付けない。イヴ・モンタンでなければ」と思う。フロイト的に分析すれば、なんだかいろいろ突っ込みどころがありそうだけれど、簡単に言えば聞く側の精神状態によって、同性の音声が耳にうるさく、完全遮断(ミュート状態)しなければならないことが多々ある。そういう時は、洒落て後腐れなさそうな彼の声がいい。さくっといきますね。ピアフとよく似た制作映像だが、こちらはカラーだったので印象が全然違う。見てみて下さい。  
 それにしてもパリの空の下流れるものといったら、オムレツの香りに決まってるじゃないか。
 まだ、一度もつくったためしはないけれど。 

Sous le ciel de Paris - Yves Montand - YouTube

Sous le ciel de Paris - Juliette Greco (Paris 2012 ...