Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 パリのよしなしごとを徒然なるままに

オーディションに受かったけれど/いつかさよならする日まで

 6月1日。パリ名門インターナショナル校、国家ダンサー及び国家ダンス教師養成所『Institut de Formation Professionnelle Rick Odums』のオーディションの日曜日である。国境を越えて受験に来る生徒のため、6月の週末に2回にわたって行われる。その1回目。私は受験資格が「18歳以上27歳未満」だと思っていて、そう、とにかく強くそう信じていて、受験できないものだと思っていた。ところが、昨日その話を受付の兄ちゃんにしたところ「いや、そんなわけないよ。絶対、大丈夫だから。明日9時に君絶対来て」というので、私は真に受けて、オーディション当日、恐れるものなく会場に乗り込んだ。

 集合時刻の15分前にはついたが、バカロレアの試験が終わったばかり、といった18歳ぐらいの若い男女がずらり。でっかいスーツケース引き下げ、列を作っている。両親付添もちらほら。あとはだいたい20代半ばぐらいまでか。10歳の年の差を感じる。登録用紙を渡され、個人情報、ダンスの経歴詳細、受賞歴を書かされる。上の階でレオタードに着替え、まずはクラシックの試験から、と聞いていたのに、会場で我々を待ち受けていたのはなんとrick odums本人で、まずは彼の試験からスタートしたのだった。

 さて、フランスでは知る人ぞ知るリック(日本では殆ど知られていない)まさか本人にお目にかかる日が人生に来るとは思わなんだ。長髪を後ろでひとつにたばね、身体の重量はかなりありそうな感じ。ダンサーじゃなければただの変なおっさんで、近づきたくないタイプ。

 オーディションは、最初のアナウンスでは、クラシック、モダン(コンテンポラリー)、ジャズがそれぞれ1時間ずつの計3時間と聞いていた。でもリックからとなるとこれがジャズ?内容は、基礎的なジャズステップ、手足のムーブメント、難しいコンビネーションはなかった。だからどこまで「正確に」、きちんと音を取っていたか、その一言だろう。言われたことを言われた通りにできているか、また言われていないことを勝手にやっていないか。みていると、教師が振付した以外のことを付け加える人が多すぎる。フリーと言われた拍数の個所で自己アピールは存分にすればいいのであって、課題内で勝手に手を動かしたり、無駄に足をつりあげたりする必要などない。審査員が「何を見たいか」をちゃんと理解していれば。

 9名ずつの横一列のラインが次々に前進して交代いくのだが、私は自分が最前列に来た時に限って、速い振付の部分の手の動作を間違えてしまった。まあ、間違えていないような顔で涼しげにやってのけたので――この歳になると度胸というと聞こえはいいが、大概のことに驚かない、動じない、単なるふてぶてしさが身につく。152センチそこそこの、外国人の中に居ては殆ど子供同然の私ですら。

 次はホントに「クラシックバレリーナ」という年配の女性教師によるバレエ試験。これは私にとっては問題なかったが、ジャズ志願の人たちにはきつい時間だったろうと思う。入ってからは専攻に関わらず、平日午前は毎日クラシックだからねえ・・・。

 コンテ試験のモデル教師は20代後半か30そこそこぐらいのパワフルな体育会系、筋肉質おねえさんで、NYのアルヴィン・エイリー―のカンパニーにいたらしい。まずは床でリリースのテクニック、その後、いきなり激しい「これぞアルビン」といった振付。そんなの動画でしか見たことないよというような、宙を引き裂く(飛ぶ)ムーブメント・・・。一同絶句。しかも見本でやって来たお手伝いの2年生、3年生の生徒さんたちもまったく動けていない(笑) 殆どおままごと状態である。でもこの先生は、確かに凄かった。呼吸が見事。

 最後に年配の(というかおばあちゃん)先生によるリズムテスト。「ジャズ」の音楽に合わせて、クラック、拍手、胸や膝での拍取りの振付が加わる。なんだかなあ。ちょっと学校側の人事的(顔立て)といった配置も否めないが。途中フリー表現が2度にわたって与えられる。クラスでやっている振りをそっくりそのままやっちゃおうかとか、昨日のレッスンで習ったあのコンテの8拍で行こう、とか、出る直前までさんざん考えていたのだが、いざ本番になったら結局そんなものは全部すっ飛んで(危うく課題の振付まで吹っ飛びそうだった)2度とも即興で終わってしまい、何を踊ったかまるで覚えていない。

 その後先生たちは密室会議へ。受験者50名ほどは着替え室で待機し、再びオーディション室へ呼ばれたのは30分後。名前と部屋の番号が呼ばれる。私は『sall A』だった。で、それぞれ移動するのだが、この「A」という部屋に指定された、受験者の約半分ぐらいに告げられたのが「まず、下にパパやママが待機している人たちは、急いで呼んできて。お金のことやこれからについて、大事な話があるからね。電話やメールを送る人も今許可します。おめでとう。ここに残ったみんなが、成功者です」

 抱きついて飛び上る何人かの子、感激のあまりか泣きだす女の子たち、ああ~、いいなあ~、青春って、こうだよなあ~、と私は人ごとのようにそんな光景を見ていた。数名がだだだ~と外へ飛び出していって、パパやママ(私よりちょっと上の歳ぐらいだ。結構ショックだ)を連れて入ってくる。彼らが戻るまで、私は隣に残ったただ一人の黒人の男の子に、自分から話しかけていた。「いや私、両親いなくてさあ」「僕もだよ。いいよな、喜んでくれる身内がいる奴は」

 そこから約1時間半にわたり、登録方法、授業や生活について、登録料の支払いについて、社会保障についてなど、細かい説明があったのだが、理解できる部分もあれば、出来ない(聞き取れない)部分も結構あった。日本人私一人だ。人に頼れない環境、というのはぞくぞくするほど魅力的だ。昔から、そういうものに惹かれてたまらない性癖がある。わざわざ苦しみを求めてやまない私。(それで何度失敗してきたことか)

 パリ大学のMAダンス(ダンス修士号)出願済み。迷うところ。学術といっても既に修士号は持っているし、フランスでグランゼコール以外のところで今さら何を、という気も。理論をやるよりは、身体でものを覚えテクニックを身につけるには、年齢的に言えば最後のチャンス。つまらない講義に耐えながら、フランスの居場所を見つけられず、気がつけば一年が過ぎていた。それよりはアイデンティティーとも言えるダンスで、何度諦めても、諦めても、諦めきれなかったダンスで、運命を素直に受け入れてもいいのだろうか。だからパリに居て、フランスに来たのだと、自分の身体と心に分からせてあげないと、10年、20年、30年、私は同じアディクションの奴隷だ。

 身を削って、血を流しながら、フランスを愛していけば(逆でもいいが)いいのか。

 時間もかかる。高い支払いとリスクを伴う。ちゃんと自分に返ってくるものはあるはずだと信じて。 

 日本で三十何年か生きた、でも掴めなかった夢ののため、私はフランスに「生きなおし」に来たと、そう胸を張って言えるようになった時、きっと私はここを、サヨナラできる。