Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 パリのよしなしごとを徒然なるままに

ボクサーの減量・ダンサーの減量 

 ふと思ったのだが、ボクサーの試合直前の減量方法って、参考になる。これまで普通の人、私の周囲には決して理解してもらえなかったメソッドが、彼らにとっては「常識」だから。私はちょっとでもこれを口にしようものなら即精神病院行きを勧められるってカンジで、まともに取り合ってもらえた人間は生まれてこのかた一人もいなかったから。

 30キロ幅の減量のハナシです。私は昨年パリへ着いた時32キロでしたが、その後あまりのストレスについに発狂、わずか2~3カ月で49キロまで上昇。なんと17キロアップですね。そのまま春先まで泣いて暮らし、3月にこれじゃヤバいと思ってジム入会するも本腰をいれ減量に取り組まねばと思ったのは4月。結局1カ月で7キロ減の42キロ。しかしまだ10キロオーバーなわけだ。そして若干の停滞期に襲われ、続く疲労感と空虚感にしばらくこの体重で低迷中。そんなときふと、ボクサーのブログを見てみる。彼らのストイックな減量方法、徹底したプロ意識から、震えるほどの勇気をもらえる。彼らは試合直前はほぼ飲まず食わず、レモネードをくちに含むだけ、とか、水もうがいをするだけで飲み込まない、とか。だいたい最後は身体から水分を絞り出して4キロ、5キロはさくっと行くらしい。また私と違って筋肉量が多く、削り落せるものがない状態からだから、あとはもう水分しかないんだよね。するとガムを噛んで、唾液をだして、それをはき出してその分水分を絞り出している、とか、もう何ミリリットルのレベルの減量になる。

 私は練習中は水は極力飲まないけれど、朝、また寮にいる時にはかなりがぶ飲みしてしまっているほうだと思う。ペットボトルを持ち歩いたりするのもやめよう。だいたい人は水分を取り過ぎなのだ。そしてハマムで思いっきり汗を絞り出して、まずは週が明けたら体重計を買いに行こう。

 ところでハナシ変わって。こっちのダンサーは二極化されている気がする。コンセルヴァトワールで7歳、あるいは小さい時からクラシックのエリート教育を受けてきた、それこそ外界と遮断され、修道僧のようなバレエ一筋の生活を送ってきたバレエの申し子たちは骨格から何から、全て神のように美しい。でもそうでない残りの大多数の人々は、どんなにうまくたって、神にはなれない。いわゆる普通の「国家ダンサー」になるしかない。(それだって充分すごいのだけれど)。で、彼らは概して、物凄くふとっている。欧米のひとつの特徴なのかも知れないけれど、太ももなんて私の二倍ぐらいありそうで、二の腕には「なんかはいってますかぁ~」といいたくなるほどばっつんばっつんに膨らんでいる。それでも飛ぶ、くねる、回る、ダイナミックに踊る、踊る。エネルギッシュなパワーが何と言ったって格段に違う。こんな中に居ては、私なんて殆ど棒きれみたいな存在にしか見えない。

 まったく基礎のない、スポーツ中毒系おねーさん、おばさんたちがぐわしぐわしっとスタジオ中央を固めて、気持ちよ~く踊っている。一昔前の、エアロビとかの延長上で、そこに「エクササイズ」はあっても、「ART」はない。そしてレッスンの途中だろうが何だろうが、ものを食いまくり、疲れたら座りこんで休み、おしゃべりをやめない。そういったスポーツクラブのジムのダンスプログラムに参加し続けることに、わたし、ずっとストレスを感じていたんだなあ、ほんとうは悲しかったんだ、イカっていたんだなあ、、、、と、おととい熱のある頭で朦朧と思った。(時には熱を出すのも悪くない。)

 お金を出せば、きちんとしたスタジオのレッスンに毎日でも通える。それは、私にとって、90分が一秒たりとも逃せない、息つく間もない貴重な時間である。先生のデモにあまりに感動して、不覚にも、涙ぐんでしまったこともある。でもそんな余裕も選択肢もないから、仕方なくジムに通い続けて、それはある意味、自分で自分を放棄しているのと同じことではないか。いったいフランスで何を見ているのだ、私は。

 ボクサーのように、ストイックに、あるものだけに向かって、ひたすらにまっすぐに生きたい。減量は殆ど私の生まれつきの趣味というか宿命である。私のパートナーであり、生き様である。これからも、こういう生き方しかできないであろうし、それを受け入れている。日本社会では異端者として省かれたけれど、なんとか、パリで生きてゆく。

 ひとまず、今月はあと5キロは目指さないと。「プロ」は社会的ステータスのことじゃない。心のあり方のことをいう。