Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 パリのよしなしごとを徒然なるままに

perdant douloureux/“負けず嫌い” たちのダンス論

 彼は負けず嫌いよ、なんていう時の教科書的な「英文」例文はhe's aways hated losingなんてのがつかわれたけれど、フランス語ではなんていうんだろう~、と。Un mauvais perdant あたりかと。

 スポーツをやっている人は「基本」そうなのかもしれないけれど、最初から負けようと思って逃げ腰の人はあまり居ない。勝ちたい対象が他人か、あるいは厳しい天候とか、耐えがたい空腹とか、これ以上負荷をかけ続けられないといった限界、苦しさといった自分自身に向かうか、いろんな違いはあるにせよ、何らかの「対象」と闘ってはいるわけだ。

 「試合」のあるスポーツは、いわゆる目に見える「勝敗」が結果として得られるわけで、分かりやすい。

 柔道なんてのは、最初は「負ける練習」ばっかりやらされるらしい。え、と思うかもしれないけれど、要は「受身」の練習。転がされて、転がされて、きちんと受身(正しく負ける)フォームが身について居ないと、相手にけがをさせてしまうし、勝ちにいくことはできない。勝つための技を習得するのは、うまく負ける(受身ができる)ようになった者からだという。

 スポーツを、単純に「負けず嫌い」たちの王国と呼ぶのには抵抗があるが、やはりダンスにもそのような側面はある。確かに存在する。単に美しく、崇高であればよいという「芸術」の箱に閉じ込めておくわけにはいかない。自分さえ満足し、自分の世界を掘りつづけていればよいとおもったら大間違い。それを「独りよがり」という。

 フランスでは「ダンサー」は、特に、厳しい「淘汰」にさらされ、常に比較され、自分とも他人とも、ダイレクトに勝負し続け、生き残っていく世界だ。小説家みたいに歳をとっても書ける、むしろ人生の深みと味わいが増す、みたいな悠長なことは言っていられない。明日には若手に追い立てられ、世界の(NYの)流行は瞬時に様変わりし、30が近付けば身体は確実に――衰えてゆく。それを自分自身が知り、自分の限界は自分で決める、残酷さ。プロスポーツ選手と、ある意味同じかもしれない。

 昔、取材した多くのダンサーたちの中で、今も忘れられない言葉たちがある。

 彼らに共通するのは、とても意固地で、自分のダンスを信じていて、それは一部の人間にとっては、大変に魅力的な経験談ではないかということだ。しかし残念なことに、万人に共有できる概念ではない。新聞や雑誌には、いろいろ差し支えがあって、書くことはできなかった。今も、時効とは思っていないし、もちろん、話してくれた個人が特定される詳細について、ここで書くことは一切避ける。でも、その大事なエッセンスだけ、日本語の文章の形で、どうにか覚えているうちに書きとめておかなければ――とずっと願っていた。どこかほんとうは、まとまった文章の形で発表出来ればいいのだけれど。負けず嫌いの、ほとんど知られない街角のヒーロー達が、何かの拍子にふと、私に語ってくれた唄を。

 ちなみに、彼らの国籍は実に多様である。日本人とは限らないし、以下は、英語で交わしたものが最も多く、次に日本語、通訳を介した仏語、そしてダイレクトな仏語同士のやりとり、の順になる。男女の数としては概ね半々、年代はバラバラである。

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・ダンスって、勝負なんですよ。他人との勝負、過去との勝負、未来との勝負。勝負って、楽しいものなんです。

・日本人だから、骨格的にどうしても欧米人には劣るんです。だからせめて、メンタルな部分で補わなくてはいけない。筋肉や骨格が足りないのなら、それを覆すほどの負けない気力で持って、鏡の前に立つんです。そういうオーラは、相手に伝わるんです。ただ見てくれだけの相手、中身のない相手は、その時点で逃げ出していくんです。だから、何も怖くない、恐れることなんかないんです。

・あら、あなた日本人だったの?残念ね。私、あるパリ生まれの、尊敬するチェリストのことを話そうと思っていたのよ。中国人よ。ハーバード出の。ヨーヨー・マっていうの。この前シカゴにも来たのよ。彼ね、おかしなこと言うの。「目標に達すると、何だかがっかりするだろう」って。つまり終わりのないことに向けて、私たちは常に努力し、チャレンジしてゆけるわけじゃない。ダンスだって同じよ。振りが完璧に入って、音と一体になって、もうこの踊りは自分のものだって思えて満足しちゃう人、そこからまだ貪欲に何かを探し求められる人との違いが、そっくりそのまま、ダンサーとしての、ううん、人間としての器の違いになるのよ。あなた、見てて分かるでしょう、そういうの。だから話したの。

・すごく自信に溢れて見えるだって?馬鹿なこと言うんじゃないよ。不安で不安で仕方ないから、人の五倍の時間をかけて練習しているんだ。普通の人が2時間のレッスンで持ち帰るものを、僕は4時間分、たっぷり盗んで帰るんだよ。それでおんなじ先生のクラスに週5回出てる。きっとうざがられているよ。でも食いついていく。扉を素直に開けてくれる先生なんて、僕は信用しない。叩いても叩いても叩いても「ダメだ」って跳ね付けられて、それでも諦めないで叩き続けて、最後の最後で「あんまりにも叩く音がうるさいから静かにしろ」って怒鳴るために開けた扉の隙から、ひょいっ、あ、ども、アリガトゴザイマスって入りこんでやるつもりでいるんだ。生涯で巡り合える師なんて、指の数ほどいやしないよ。たいていの人間は師ばっかり探して一生終わっちゃうんだ。この人かもって思ったら、とりあえず自分の直感を信じて、馬鹿みたいに食いついてけ。自分の未来だ、他人になんか決めさせない。僕が決める。

・自分よりうまい人が最低3人いるクラスに出ろ。でないと自分が伸びない。

・やっぱり、負けず嫌いってとこ、特に俺たち過剰なぐらいアピールしてかないと。教師が平気でみんなの前で「Japoneiseはこれだから×××」ってすぐ言う。注意してるつもりなんだろうけど。正直、腹立つよ。でも腹が立ったら自分に当たる。悔しかったら今より少しでも大きく見せられる踊りができるよう、自分を磨く。それだけだ。それが全てなんだよ、こっちでは。

・攻めるんです。せめて、せめて、攻めまくるんです。ダンスって、守りじゃないんですよ。今の自分に安住してたり――流行ってるでしょう、“ありのままの私”とか。私、そういうの一生言いたくないですもん。ダンス?一言で言うと、一秒一秒、生まれ変わりつづけることですから。

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