Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 パリのよしなしごとを徒然なるままに

Diversity:多様性 フランス音楽VSドイツ音楽 

 フランスに居て『多様性』ということを感じるダンスにしてもフレンチポップスにしても――ということは、常々書いてきた。

 米国・英国メディアなどに接触する場合、必ず審査過程「Diversity」が問われることになる。分かりやすい例で言うと、海外企業の就職活動などされた方はよくご存じだろう。日本人なので結構ビックリする。性別なんて、最初に書いたしCVも出したじゃん、ってことが、改めて最後の最後で、正座して(注:イメージです)聞き直され、人種、性的嗜好(同性愛者か、ヘテロか)、障害のあるなし、プライベートな問題を予め申告するわけだ。「その問題には答えたくありません」という選択肢ももちろんOK。これが世界の「一般」なんだ、と思った。

 

 さて、昨日アップしたS.ホームズの話に関連して。彼はバイオリン演奏が得意なことで有名。時間ができるとすぐ演奏会に行ってしまう。(そして何倍もの『土産』をきちんと持ち帰るところも凄いのだが)。自身作曲を散々かき鳴らした後で、相方のリクエストに応えて何曲か弾いたりもする。彼に「イタリアやフランス系よりも、ドイツの音楽が自分には合うんだ」と言わせたコナンドイル自身、音楽に造詣が深かったためと思われるが、ああそりゃそうでしょう、と納得した覚えが。

 一言で結論:「フランス音楽が感覚的・外的印象なのに対し、ドイツ音楽が論理性を根幹としているから」

 フランスって住んでなお実感があるが、よくも悪くも視覚芸術の国。と、以前も何かで書いた気がする。つまり絵画の国。そして私の苦手な印象派の国である(中学の頃、ダンス部顧問が「印象派って眠くて嫌い」とすっぱり切り捨てたのを今でも覚えてるぐらいだから、結構インパクトがあったのかも・笑)

 印象派の一番大事な要素は「印象」――(オイ!)ってこれ以上説明の余地がないぐらい(笑)、「円は丸い」「夕陽は赤い」のではなく「四角い円」や「紫の夕暮れ」があり、それは「私の見たもの=印象」としてすっくと存在してしまうのだ。

 感情=大脳辺縁系の感覚。これはかの氏の重要視する「理性」と相反する。

 余談だけれど、フランス音楽をほめる言葉の定番として「軽快さ」とか「色彩感」など。ほとんど「センス」だけの洒落感覚。

 ドイツ音楽は非常に理知的で、特にロマン派以降、人間の心の奥底に触れることを目的にしたと言われているけれど「感情的」とは一線を画する。全く別物。それは高度に構築され、計算され、機能和声に基づいている。ベートーベンやバッハに代表されるあの荘厳さには足元にも及ばないわ、、、と、私なんか個人的にひれ伏してしまうタイプ。

 冒頭引用したS.ホームズのセリフはその後に確か(ドイツ音楽って)「内観的だからね」と続くのだけれど、うまいなあ、と思ったのが、子供むけに訳された児童書の翻訳。「それはじぶんを見つめさせるものだからね」となっていた。分かりやすい。

 ベートーベン聴きながら、さて私も物書きに戻るとしよう。