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Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 パリのよしなしごとを徒然なるままに

ホームズの出身大学は?オックスフォードVSケンブリッジ

 欧州にやってきて1年3カ月、休む間もなく必死で仕事を探すだけの毎日だった。探して探して探して、探し、100%振られまくるためだけにやって来たみたいだ。無収入のまま月日だけ過ぎ、季節は巡り、当然ながら残高が尽きる日がやって来た。

 その間、なんとかして英国(ロンドン)に渡りたいと、あの手この手を尽くした。全ての望みはなくなった今、まさに『ライヘンバッハの滝」の崖っぷち状態。

 毎朝起きた瞬間に、長い一人きりの一日という悪夢が始まる。

 女一人、お金も、外国人の伴侶もなく外国に滞在しているということ。おそらくこのまま独身を貫くであろうこと。それは「絶対に仕事がない、あるいはできない」身分という意味である。

 どう這い上がるか。上どころか、自分が今いる場所を見渡す気力も使い果たして残っていない。ホームズみたいに「バリツ」の心得はないし。ただダンスが少しばかり踊れて、文章(フィクション、ノンフィクション、エッセイ)を書き続けることしかない自分。でも一銭にもならない。

 誰もこの国で、いや日本ですら、私を知る人はいない。ただの一人も、だ。何カ月も、人とまったくあわず、話さず、一歩も出ない日々、フランスの何ひとつ、この眼で見ることはなかった。

 小説を書くためにやって来た。生活が立ちいかない。2時間の場所にあるロンドンは、永遠の夢か。そこまでの列車代だって、払えない。

 この先、ほんとうにどうやって、ひとりで生活をしてゆけるのだろう。

 翻訳や、書いた小説、エッセイや滞在記を、キンドル99円でかりに将来出版したところで、印税で暮らせるわけがないしね(笑)。

 応募した会社に履歴書を送っている時間のほうが、毎日長い。1年3カ月この生活で、例えば苦しいだとか、無常とかいった、自分に関する感覚が既にない。

 甘い期待などひとかけらも持たなかった。かといって日本には二度と帰れない。そう決意して、全部捨てて、全財産、全荷物とこの身で、きてしまったのだから。小さい時からの思い出も、帰る家も、知り合いも、何ひとつない。写真も、小学校から使っていた書道の筆も墨で変形してしまった硯も、書き初めも、全部捨てた。置く場所がなかった。それだけが悲しい。沁み込んだ思い出は帰って来ない。でも、それでよかったのだ。もしかしたら、そういう状況に憧れてさえいたのかも知れない。

 人間は最後、一メートル四方の土の中に、何かをもって入るわけにはいかない。

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 さて、ホームズのネタに戻って。ホームズはエリートや外交官の家に生まれ育った訳でない。ごくフツ―の田舎の(ヨークシャー州)寒村農家で生まれたとされる。田舎地主の家だ。初等教育は、まともに受けたかどうかも分からない――これが研究達の間でのホームズの経歴書。

 得意なスポーツはボクシングだの「バリツ」だのフェンシングだのと、個人競技が主で、団体モノは体得していない。友人が初めて出てくるのは大学時代で、幼少期の記録がまるでない。となれば1対1のスポーツも、勉学も、おそらく個人教師について習ったのではないか、と見られている。イギリスの「普通教育法」ができたのは1870年頃、それまでは学校に出さず、家に(時に住み込みで)家庭教師を雇って一切を任せるのは、普通のやり方だったわけだ。

 中学は、パブリックスクールに通ったのだろう。そして当然、ケンブリッジオックスフォードに入学した―――ここまでは殆どのファン、研究者、シャーロキアンの意見の一致するところだが。。。。

ケンブリッジ大学(色:ライトブルー)オックスフォード大学(色:ダークブルー)

  

           (注:「色」=スクールカラーのことです) 

「どちらの大学に入ったか」については議論が分かれる。こと英国ホームズ研究者の間で、長く論じられて来たテーマらしい。英国シャーロキアンには、名門両校の貴族たちが多く「我が母校」が関わる問題に、ジョークの一つでも言わないと気が済まないのでは。

 個人的にはケンブリッジかな??と。もちろんオックスフォードは英国最古、人文科学、芸術系のみならず、理論物理やホームズの主専攻であると思われる生物化学でも最高レベル。しかしその後創設されたケンブリッジは、数学、生物学といった理系分野や経済学等で抜きんでて、世界ナンバー1のノーベル賞受賞数(現在も物理・化学系が殆どだ)に。

 ちなみにケンブリッジではチャールズ皇太子は勉強の傍ら演劇にハマり、女優兼脚本も手がけるエマ・トンプソンは英文学専攻、学生コメディクラブの幹部だったらしい。

 面白いことに「うちの大学だ」と言い張るのではなく「どうもうちではないみたい」「貴校ではございませんでしょうか」という、押し付け合いになっているらしい(笑)このあたり、実際に両者のバトルを見たわけではないので何とも言い難いが、「うちの卒業生名簿を調べたけれど居なかったから」とか(笑)正典(原文)のある個所を引っ張り出して「◎◎事件のトリックで使われた××は、そちらの大学にあるものでしょう」といったつつき合いらしい。まさに「重箱のスミ」に至るまで「推理」「分析」し、お互いの論拠に対して反駁し合うのだが、それも英国人の知的階級の『遊び』=ユーモアの一つこの話に参戦できるということが一つの特権(ステイタス)であり、ゆえに簡単に決着がついてしまっては、ある層の英国シャーロキアンたちは、ひとつの楽しみを失うことになる。

 永遠の、迷宮入りクエスチョン。こういう「謎」の一つ二つあってもいいのかも(笑)