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Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 パリのよしなしごとを徒然なるままに

ホームズの思考術実生活応用――創作に、翻訳に、そしてダンスと減量に

Sherlock

 この秋の個人的テーマは――ホームズの「推理」と「分析」の実生活応用――で行こうと決めた。

 感情に人生を振り回されるのではなく、理性で自らの人生を制しないと、既に9割方、生活が立ちいかなくなっている。つまり収入がない。

 この方法については、ワトソンが彼に出会った最初の『緋色の研究』が最も詳しく、短編なら『冒険』あたりで描かれる。

 起こった事実を元に、ではどうしたらそのような結果が生まれたのか――を辿る技術。もとを辿ればエドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人』である。「たしかに小男だから、出るならヴァリエテ座がよかろうよ」という有名な一言。もちろん「推理小説の元祖」であり、コナン・ドイルもこの短編を手掛かりに、ホームズとワトソンを作り上げたとされる。(後世まで、この関係は比較研究される)

 デュパンの“鎖の輪っか”の繋がりは――シャンティ、オリオン座、ニコル博士、エピクロス、石切の術、路面の石、果物屋――の順だった。つまり「原因と結果が連鎖しただけの当然の結果」で、最初のヒトことを発した人物は、それを頭の中で行える「鋭利な知性の持ち主」である。

 いま、一つの小説が書きあがって、次の長編までホームズの短編を一つ訳している最中だが、つくづく翻訳とは「推理と分析」の繰り返しの作業なのだな、と思う。

 忍耐につぐ忍耐が求められ、最も大切なのは体力及び集中力。冗談ではない。「ま、いっか」となったらそこで「誤訳」「信用失墜」「業界追放」(オイオイ・笑)――すぐさま恐ろしい単語が私の頭の中を駆け巡る。

 本人がどこまで妥協せず、粘り強く、何時間もこの作業を続けられるかというボクシングみたいなもの。プラス、少しの日本語力。ホームズモノの邦訳は著作権切れで、正典(キャノン)はもちろん、ネットでも随分読める。趣味からプロまで人の数だけ翻訳がある。直訳から誤訳すれすれまでの意訳まで様々だ。

 「A」という単語をみて、普通は「B」という意味だが、ホームズたちの時代には「B」などおそらく存在しなかったはずだ、と疑う。そこで英辞朗だとか翻訳訳語辞典だとか、ありとあらゆる複数の百科事典で時代考証をする。英文を見ているよりこっちでうなっている時間のほうが長いんじゃないか。そしてようやく、なるほど「C」という別の物体を指すのだ、と自ら立証するに至る。あとで新潮文庫の延原訳を見てみるとどんぴしゃり、ということが多々ある。

 この一連の作業をめんどくさがったり、そもそも「A」という単語を見た時にピンとこないようでは自分の勘が鈍っているとしか思えない。相当ヤバイレベルだと猛省するしかない。

                           

 ダンスにも同じことが適用できないかと、ふと考えた。夏までは体力と勢い任せ。フランス人に負けたくない、こいつらになめられたくない、という思いだけで踊っていた。でも振り付けには必ず理由があって、意味のないムーブメントはないと私は信じているから「どうしてこういう動きになるのか」⇒推理と分析の思考を応用して、新しい境地(例えば今私が最大の弱点である振りがすぐに覚えられないことなどの克服)に繋げることは、可能ではないか。

 となれば最後のひと押し。目下減量に対しても。無計画に「食べない」⇒「痩せる」/「気持ちが途切れる」⇒「リバウンド」/だからまた絶食、という、虚しい所作を今後死ぬまで繰り返すか、それとも「何故太ったか」(推理と行動分析)からアプローチをかけて、自己を管理していく科学的・理性による手法に切り替えるか。 

 今、自分に最も必要なテーマを、この秋はひたすらに。