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Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 パリのよしなしごとを徒然なるままに

『人生の書』といういささか大げさな題名の

 例えば、顔の筋肉や視線のちょっとした動きから人のこころの奥底までも見抜くことができる――と著者は書いている。観察と分析の訓練を積んだ人間の眼をあざむくことは不可能だ、と。

 結論はユークリッド幾何学の定理並みに、間違いがない。何も知らない相手は驚くべき結果にただ茫然とするだけで、推理過程を知らされない限り、こっちを「魔法使い」とでも思いかねない――。

 以上はジョン・ワトソン君がまだホームズと同居し始めて間もなくの頃、トーストをかじる彼を横目に、かなり不機嫌な精神状態でテーブルにあった雑誌を手に取り、暇つぶしに読んでいた記事である。『人生の書』などという大げさなタイトルがついている。

 肝心の内容、要は『観察力の鋭い人間なら、目の前の事象を体系的に検討すべし。そうすれば限りなく多くのことが学べる』ということ。“指摘は鋭いがどうもばかばかしさが交錯したような文章で、論法は緻密極まりなく力強いのに、結論はひどい誇張”、とワトソンはののしりまくる。

「初心者はとにかく、基本的な問題からマスターすべきだ。例えば人にあったらひと目でその人物の経歴や職業を見わけられるよう訓練する。子供じみたことに思えるかも知れないが、こうした訓練が観察力を鋭くし、どこに注目し、何をみるべきか教えてくれる」 

 続いて記事は、具体的にそのポイントを列記している。「たとえば指の爪、上着のそで、靴、ズボンの膝、人差し指や親指のタコ、顔の表情、ワイシャツのそで口など――どれをとってもその人物の職業が端的に表れる。必ず何らかのことが分かるはずだ」

 ただでさえ虫の居所の悪かったワトソン、とうとう怒り込み上げ(まだホームズの人柄も、職業すらも分からない段階だったから)「なんだ、このたわけた記事は!」といって雑誌を叩きつけてしまう。正典『緋色の研究』第一部にあるシーン。フィクションの中のフィクションという形をとりながら、この雑誌に書かれていたことは――殆ど、これから始まる物語の背骨の部分、を語ってしまったとも言える。

 ワトソンの横でトーストをかじっていた人物は言う。「だいたい、犯罪というやつには著しく類似性があるもので、千の犯罪に精通していれば千一番目を解決できない方がどうかしているんだよ」やはり、記事を書いた天才本人の言うことは真似できない(笑)。

 タイトルが大げさだなんて、私には笑うことができない。同じ24時間をただぼんやりと、何もみないまま過ごし、どれだけ多くを失ったか。全て『訓練』の問題である。動詞活用は『能動態』(自ら~する)でしかない。いつからでも、どこからでも、はじめられたのに。これまで、そうしてこなかったのは自分に他ならない。

 遅すぎたし、間違えた。としても、それを数えることに、意味はない。

 警部にこんなことを言う場面があった。

『日の下に新しきものはなし、と言うでしょう。全ては繰り返しに過ぎないのですよ』