Entre la poire et le fromage 

『洋ナシとチーズの間』 パリのよしなしごとを徒然なるままに

病院でひと目、恋に落ちたら in Paris

 タイトルの通り。

 パリで昨日『病院』という場所にいき、緊急受付で私に走り寄って来た若きドクターにひと目ぼれ。その場で倒れたかった。どういう「感情」「理性」の働きによるものか、自分でも理解不能。脳は通常の制御作用を失ってしまったのか。

 その人を目にしたとたん、DNAレベルで瞬間Fall in LOVE.という病的な事態が数年に一回サイクルでやってくる。これまで全て外国だった。最大のビッグウエーブは――スペインだった。

 本当にどうしてなのか分からない。TV・小説、生まれてからこれまでの環境、遍歴、好みを辿ってみたところでそれほど参考事例があるわけではない。単に「タイプ」なら、言いたい放題である。基本は紳士で、細身で、知的で、声のトーンは・・・etc.容姿から性格まで描写しだしたらきりが無い。

 しかし私の経験した「ひと目ぼれ」は全く違う。生理学的、肌感覚で、遺伝子レベルで、ふらふらっとめまいを起こし天と地がひっくりかえる境地なのだ。

 前世も来世も信じない私が「いや待てよ、前の人生できっと悲恋の相手だったんだ――」と考えずには、さもなくば説明のしようもない、血の騒ぎよう。

 今回のケース。自身の体調不良とか病気とかでは全然なく、ある書類上の理由で行かざるを得ない事情ができた。

 それはどこでも可能というわけでなく、パリでも特定の箇所に限られていた。結果的に5ホスピタルをまる一日かけて行脚する羽目になった。1にいけば2にいけと言われ、2に行けばそれは3しかないと言われ、3にいったら午後から4でやっていると言われ、4に行けば、すぐに5にいけと言われ、5では何と3時間待ち。私は携帯電話を持っていない。住所から、手持ちの地図であたりを付けてメトロでその都度移動する。これがフランス。これがパリ。雨は降るし、夜の7時を過ぎれば寒くなってくるし――。当該事件はちょうどその頃、ラストの「5」ホスピタルの救急外来にて発生。

 

 私は全然病気でもなんでもなく、ましてや「緊急」でもなんでもなく、しかし入口がたんに救急外来しかその時間あいていなかったため。そこから入り、要件を伝える。貴公子の如く微笑み、――推定:まだ30前後といった、若い彼が、私に対応した。メモをとりながら私のハナシを素早くまとめ時々質問し、即扉を開けて出てきて、僕が担当します、と握手を求められる。月並みだけれど白く美しい手。そのまま待合室に案内される。

 かつてこのような紳士的対応を受けた過去が私の身にあったか?ヒューマンビーイングとして自らの存在を認めたもらったなど?我がクズ人生を振り返る。

 疲れてもいたんだろう、この時点でついに、涙腺崩壊、体温急上昇。

 あれ~、どこかで見たことあるなあ、と思っていたら、通っているスポーツジムの受付のお兄さんにウリ二つじゃないか!双子みたい(笑)茶色い髪の毛をツンと立てて、背はそれほど高いわけじゃなく、むしろ中ぐらいか小柄な方に入っちゃうかも。細くて、姿勢は良くて、スニーカー履いてる。(ってか医局の人、みんなナイキとかスニーカー履いてた)凄く知的な喋り方と声のトーン。いやあ、ジムのお兄さんも確かにカッコいいなあといつも見惚れてたけどさ・・・だってこっちは白衣着てるんだよ、白衣を!!!しかもこんな不意打ちって、ありですか。

 私はそのまま何と待合室で2時間待ち。担当医がいなかった、捕まらないらしい。電話をしているんだけど、いない。出ない。そんなわけで日本語の翻訳者まで手配をかけて(どうやら緊急外来は各国言語そういう対応になっているらしい)「なんたらかんたらのフェスティバルでそれが終わってから君は二番目」(結局2時間45分後につかまらないということが電話で判明したけど。交通事故とか、本当の『緊急外来』で来たら私既に死んでた・・・)

 不謹慎なハナシだけど、その間、私は風のびゅうびゅうと吹きすさぶ、2人とか3人しかいない待合室で、救命外来の勤務医たちのきびきびした姿を見ていて(ってか彼をチラ見しようとして)時に本当に担架で運ばれてくる患者さん、時間外診察で自力でやってくる人、たちに対応する医局の人々の働きぶりを見ていたら、涙がぼろぼろ出てきた。

 交わしている言葉も実は全然聞き取れない。有名な病院じゃないのか、ドラマみたいに全然バタバタともしてなくて結構優雅に搬送してる。建物だけきれいで、医局の中は男女半々、年代もバランスよく下は研修医っぽい見習いさんから上は50代ぐらいのいかにもという頼りがいのあるおじさんまで。でもみんな仲よさそうで(名前で呼び合ってるってのもあるんだよな~、外国は)「組織」臭が無いのが最初はぎょっとする。私はそういうのにどっぷり漬かっていた派だから。

 「者」が付く仕事は人間をみる(視る・診る・観る)医者・記者・役者。新聞社に入った時、いっちばん最初におそわった一言。

 仕事をしながら何度も思った。「記者」じゃなく、「医者」になればよかった、と。そして今もまた、思い返していた。くだらない文章書いて、無意味な自分の殻に閉じこもって、形のないもの追い掛けて、もともとない「夢」を見て――コドモのやることしてる間に、「医者」は現実に、にんげんの「命」を救っていた

 他人のため自分の能力を余すところなく捧げる、そんな生き方が。

 今アホみたいに苦しい理由なんて一発で説明がつく。仕事してないからだ。

 他人のために死に物狂いで倒れるまで働いていないからだ。

 他人の命のために生きていないからだ。

 医者、この世で何よりもかえがたいもののために、それよりほかはないもののために、自分の人生を捧げている。その横顔を見ろよ。あんな必死で、あんなにカッコいい。(あの彼だけじゃないよ)みんなでコーヒー飲んで笑いあってる顔も、あの中の全員が、おっきな使命をせおったひとつの家族みたいじゃんか・・・。

 一体私は何してるんだ。今日も行くべきところをさぼって、命に別条はないのに、ただ自分の保身のために、なんとか明日、自分がここに無事にいられるように生き延びる策を捻りだす毎日。

 ―――バカみたいだ。じぶん、ほんとうに、バカみたいだよ。

 彼らは暇つぶしだの趣味だのやっている暇なんか、ないだろう。つまらなさに発狂しそうになりながら踊って無意味な時間を過ごしている、そんな人間がこの世にいることなんて考えたこともないだろう。

 次に生まれ変わったら、誰かのために生きてみたい。

 くだらない記事や文章を書いて、自己表現だの芸術だの勘違いして、無為で徒労ばかりの人生はもうーーー今世では、手遅れ。

 他人のために心底自分の能力を捧げられるような、横顔のカッコいい、ほんとうに「生きた」と言える若者に生まれ変わって、次の人生では(もしそのようなものがあるとすれば)―――あの青年に、ちゃんと、恋をしよう。

 ん?いや、生まれ変わるなら次は男がいいや。